精神医学的診断

 身体疾患は、人類の歴史において発見され、科学的な研究により治療法に結びついています。

 一方、精神疾患は、王政から民主制、キリスト教社会から資本主義社会への移行において、人為的・政治的につくりだされました。

 物質科学、自然科学から演繹されて誕生したのが、心理学、精神科学です。

 精神医学は、心理学主義を前提として構成されていますが、「精神」における形而上学的次元を排除しているため、すでに誤謬が含まれています。

 ちなみに、生物学主義(画像診断)、精神物理学(数値化する心理検査)も正当性は疑わしいです。

 形而上学的次元(魂、スピリット、霊性)は、実験により証明できないことが問題とされますが、物質科学、自然科学の方法論も、キリスト教神学を前提とした別の形而上学が前提となっているのです。

 精神医学的診断において、DSM(アメリカ精神医学会による診断基準)が使用されることが多く、インターネットなどから得られる情報はこれが前提となっています。

 DSMは精神障害を分類して、各診断ごとに症状リストにより構成されています。

 質問しながら、項目ごとに当てはまるかどうかを吟味して、妥当な診断へと至るプロセスです。

 これをやることで、ネガティブな心理・行動および症状は強化されることになります。そして、診断定義づけがなされると、二度と離れることはありません。(心理ゲーム:「精神医学」)

 そもそも、DSM式の診断プロセスは、どの診断へと至るのか、無意識的な前提があります。

 わたしは、重度でなければ、DSMの妥当性を疑っています。

 「気分はいかがでしょうか?」「身体症状はどうでしょう?」のような開かれた問いかけに対する反応には、無意識からの多くの情報が含まれています。

 わたしたちが語る言葉(語彙、文法)は人生の歴史において取り入れられたものであり、本質から離れており、経験(記憶)の切りとり・再解釈であることは自明です(「本質自己」による言葉はひとつとして存在しない)。例えば、「憂うつです」との反応を得るとき、それにより、「抑うつ気分」という所見ありなどと評価することは妥当性が疑わしいということです。

 心理構造分析を行い、気分循環型、気分変調型、精神病型、不安型のいずれかを知ることから、脳レベル:薬物療法、心理レベル:実存分析的精神療法を展開していく可能性へとひらかれていきます。

 今は、自然経過を観察すること、愛、信頼、絆で結びつく家族にも来院いただくことも含めて、方針における幅をもつようにしています。

 脚本分析はカルテには記録しますが、直接的に伝えることはせず、より良い未来へと向かっていくプロセスに努めています。

 ブッダ、イエス、ソクラテスに学び、多くの方の役に立つことこそが、わたしの精神科医としての使命なのです。