精神科医としての役割(2)

 精神療法=会話療法という図式は、精神分析原理主義による悪しき伝統にもとづく偏見です。

 精神療法は、通常の社会的相互作用・コミュニケーションとは異なるものであり、医術なのです。

 期待されるメッセージを返すのではなく、重要な意味をもつより良くなることに結びつくメッセージを伝えること。

( ≠ 社会的相互作用 )

 無意識から表現される心理構造を観察する目的で、中心視野ではなく、周辺視野で観察すること。

( ≠ 通常のコミュニケーション )

 メッセージの伝達形式(リズム・テンポ)は、現代型トランス技法(催眠)により、無意識への作用を重視すること。

 会話は、「自我」によるやりとりであり、「本質自己」へと向かう問いかけとメッセージとは共通するところはありません!

 会話で治るなら、愛、信頼、絆で結びつく身近に存在する人が最も優れた精神科医ということになります!

 「まずは、毒矢を抜いて治療すること!原因は何か、誰の責任かなどと議論しているうちに毒によって死んでしまう!」(ブッダのお言葉)

 「まずは治すこと。分析は後からやればよい。」(エリック・バーン:交流分析の創設者)

 DSM方式で粘着的にやるのではなく、すみやかに病態を知ること。

 気分循環症、気分変調症、精神病と伝えることが多いですが、DSM-5における同名診断とは異質であり、診断定義づけではありません!

 したがって、長期的な通院、薬物療法との結びつきは前提ではありません。

 ただし、双極性障害、統合失調症などと伝える場合、深刻であり、DSMにおいても、そのような診断に至ることになります。

 

 精神療法は、話をする、話を聞くことにより、自己意識における安心感を得ることを目的とした日常生活的ないとなみとは異なります。

 例えば、2週間ごとに通院される場合、24×14=336時間の生活時間を経て、わずか15~20分程度の精神療法を展開するわけです。

 精神療法に期待されることは、わずかな時間において、真剣かつ有効に取り組むことにより、その後の生活時間における心理・行動に対するポジティブな作用に結びつけることなのです。

 単なる会話療法にはそのような効果がないばかりか、能力と価値に対する値引きの可能性があります。

 

 治療構造を破壊すること、原則を順守しないことは、反治療的な効果となるのです。

〇 メモをとらずに取り組むこと

〇 過剰に語らないこと

〇 腹を立てないこと、罵詈雑言しないこと、醜態を晒さないこと

〇 費用を適切にお支払いただくこと

 

 多くの方は、上記を前提として逸脱することなく、心理・行動および人生レベルにおけるポジティブな変化を達成されています。

 一方、稀に、上記の原則を順守されず、理不尽な怒りを表出する者、費用を支払わない者がおり、ブッダのいうところの三毒煩悩(執着、怒り、無知)です。

 このような者は、CP(「支配的な親」)およびネクロフィリア(社会的あるいは生命的な死へと向かう心理)が優勢であり、「CPとは何だ!ネクロフィリアとは何だ!ぜんぶ意味が分からない!」などと暴言してきます。

 そのような反応そのものが、CPおよびネクロフィリアを象徴しているわけです。

 メッセージと情報を自己意識的に知識として所有しようとすること、強力な心理ゲーム(「犠牲者」→「迫害者」)を展開すること、「お前のせいで不快にさせられのだから、金を払わずに処方箋と診断書を渡すのは当然だ!」などと支払いをせず、「勝利者」として立ち去っていくこと。

 ちなみに、証拠と記録を残しているので、警察署に相談させていただきます。

 このような者は、より悲劇、より不幸へと向かう人間存在なのです。(脚本の種類:「重度の敗北者」)